3年間の継続研究の初年度にあたる本年度は、次の点が明らかになり、それを実証する資料の収集が実施できた。ケプラーの楕円運動の法則は、この発見後ヨーロッパではリチア-ノの『改革天文学』(1665)の著作でも認められ、イエズス会派を中心とするローマ・カトリック境界でも容認され、ニュートンらにつながる展開とは違う展開を見せた。ついでフランスのラ・イールが『天文表』を作成したが、ラ・イールはこの1702年の著作でケプラーの計算結果については批判しながらも楕円運動論のヨーロッパにおける展開について論じた。フランスでは、パリの天文台長カッシ-ニらを中心にして観測天文学の実績がつまれていた。ルイ14世の命を受けて中国清朝の康煕帝のもとに来たフランス系の宣教師たちは数学や天文学の知識を伝えたが、そのなかの一人、フランソワ・フ-ケ-というイエズス会士は1719年頃に『暦法問答』を完成させたが、手稿のまゝで残り、出版されることがなかった。この手稿のなかに実はケプラーの楕円運動についての紹介があり、長い議論がなされているということが発見できた。中国へのケプラーの法則の導入は、1740年の『暦家考成後編』になっこからであるというのが、これまでの定説になっていた。しかし、この手稿本の発見によって、東方へのケプラー法則の歴史を変える必要が生じた。このテーマを扱った本研究課題においては、まずフ-ケ-の『暦法問答』の手稿本の完本を見出すことが当初からの問題であったが、平成6年8月、英国ブリティッシュ・ライブラリーにおいて、それを発見できた。その後、マイクロ・フィルムをとりよせ、現象にあらかじめの分析を実施した。その結果が、上記した内容である。この資料は尨大であり、次年度から少なくとも2年を要する詳細な分析検討を待って最終的な報告を行ないたい。
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