過去2年度間にわたる史料および手稿等の研究資料のうち、取り寄せるために時間が必要であったもの、およびさらに補う必要があるものにつき、この最終年度の前半にマイクロフィルムの作成依頼、欧文原典・漢欧研究文献の購入等の手段によって収集した。こうして用意された資料を参考にして、当該年度は主要資料である1715年頃に撰されたフランス人宣教師、フ-ケの『暦法問答』の内容の最終的な分析を実施するばかりでなく、その解読過程の中で明らかになった事実、すなわち1743年に完成した『暦象考成後編』においてケプラーの楕円法則が公式的に中国に導入されることになるより25年以上も前に中国にケプラーの楕円法則についての議論が紹介されていたという事実について詳細にわたって分析的に議論し、さらにコペルニクスの太陽中心説の全面的な中国への紹介がこれまで知られていたよりも50年も早かったということを確認した。こうした事実が清朝期の中国によるヨーロッパの天文学・数学の導入と展開の際にもった意味を明らかにし、さらに日本等の東アジア文化圏に与えた影響についても考察した。また、『暦法問答』の底本になったヨーロッパの原典にあたり、ケプラーの時代から1700年頃までのフランス・パリ天文台でなされた観測上の成果に依拠していたことを確認した。そして、こうした科学史上の意味については、今後の課題としてさらに研究を進めていく必要があることがわかった。
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