ケプラーの法則はその発見後、ケプラー自身による『ルドルフ表』(1627)の作成や、リッチョリの『改革天文学』(1665)などの著作に適用され、ニュートンの『プリンキピア』(1687)につながる展開とは別に、フランスのラ・イールの『天文表』(1702)やカッシ-ニ父子の『天文表』などに影響を与え、それらがイエズス会宣教師を通して中国にもたらされ、ケプラーの法則の導入がなされた。フランス人宣教師J.-F.フ-ケが撰した稿本『暦法問答』は、リッチョリの天文学の理論書やカッシ-ニやラ・イールの天文表の原典に基づき、従来明らかにされてきた年代よりも25年以上も前の1715年頃にケプラーの楕円法則が中国に紹介されていたという事実を段階的に証拠づけることができた。 この研究は、ヴァチカン図書館・ブリティッシュ・ライブラリー所蔵の稿本を発見し、それを解読してその意味を解明することによって可能になった。両図書館関係者に謝意を表したい。また、資料の収集・解読・研究報告書の作成等については、フランス国立科学研究センターの上級研究員C・ジャミ博士に負うところが大きい。ヴァチカン図書館の『暦法問答』の稿本が本研究代表者にもたらされてから、すでに12年が経過し、また、ブリティッシュ・ライブラリーにおいてほぼ完全な写本の存在を確認してから5年が経過した。本研究課題のもとに3年度にわたる科学研究費補助金を得て、ケプラー法則の中国への公式的な導入の前段階の過程とその内容についてほぼ解明することができた。今後の課題は刻明な資料の解読であるが、その研究の方途についても目途をつけることができた。
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