明治・大正期の日本における洋法医薬業普及の地域的特質を議論するための前提として、本年度は、まず伝統的な和薬、漢方薬をも含め、明治・大正期における日本の製薬業の実態を地域に即して把握することを第1の目的とした。長崎、京都、奈良、富山、北海道など各地の道府県立図書館・文書館や岐阜県川島町の薬業史資料館において、製薬・売薬に関する旧道府県文書を探索した。また、福岡県須恵町、秋田県横手市、青森県脇野沢村等において個別の製薬・売薬事業者の実態や変遷に関する調査をおこなった。 結果として、明治期における製薬業は東京、大阪といった大都市や姫路、和歌山といった地方中心都市としての旧城下町にも存立はするが、中心性の低い村落地域にもかなり有力な産地が分散的に分布していたことが判明した。 これらの製薬地域にどのように洋薬が普及していくかを検討することが第2の目的である。個々の製薬事業所における洋薬の処方に関する資料は乏しかった。その中で、目薬は洋薬の導入によって塗り薬から点眼薬へと変化し、容器も貝からビンに変わる。この形態的変化に着目すれば洋薬導入の様相が追究可能となり、来年度に向けての足がかりを得た。
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