研究課題/領域番号 |
06680135
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
小口 千明 筑波大学, 歴史・人類学系, 助教授 (20169254)
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研究分担者 |
岡村 治 筑波大学, 歴史・人類学系, 講師 (00221846)
石井 英也 筑波大学, 歴史・人類学系, 教授 (60091881)
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キーワード | 明治期 / 近代化 / 和漢薬 / 洋薬 / 売薬 / 目薬 / 風邪薬 / 歴史地理学 |
研究概要 |
明治期の日本における洋法医療の普及をみると、漢方医を中心とする在来の医師分布密度が相対的に低い府県ほど洋法医の進出が積極的であったことが、先行研究によって明らかにされている。これは、日本近代化の地域的進展を理解するうえで重量な事実である。本研究ではこの視点を基礎とし、医者以上に住民生活と関わりが深いとみられる薬、とくに売薬をとりあげ、近代化期の日本において在来の和漢薬製造のなかに、どのように洋薬および洋法技術が導入されていったかを明らかにすることを試みた。 売薬規則にもとづく売薬営業人の分布をみると、大阪市にかなりの集中がみられ、その他東京、奈良県下も分布が密である。しかし、散在的ではあるが、広島近郊の安や和歌山近郊の和歌浦等都市的機能をもたない地域にも分布がみられる。明治30年代奈良県五條町で販売された薬品を例にとると、これらの大半は在来の和漢薬を取扱っていた。洋薬の導入は、売薬営業人の数からみると2割強、製造方数では全売薬方数の1割に満たない。地域的には大阪、東京が多いが、これは製造方数自体が多いことも関係する。それに対し、三重県玉滝村や和歌山県妙寺村など中小産地における洋薬導入が注目される。大都市地域のみが先駆的な洋薬受容地域とはいえず、中央地域以外の中小産地の先進性が示される結果となった。 この要因の一つとして製造する薬の効能との関わりがあり、宗教的基盤のうえに発達した伝統的な胃腸薬製造地よりも、伝統の乏しい目薬や風邪薬製造地において早期の洋薬導入が認められる。
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