本研究は、近世の伊勢参宮・西国巡礼道中日記を試料として、その経路上に現れる渡船・航路の利用の実態解明を目的にした。まず全国各地域の社寺参詣道中日記を収集し、参宮・巡礼に分類、該当地域からそれぞれの目的地へ向かう代表的な経路を抽出し、そこに見られる渡船や航路の利用地点を確定した。そして渡船・航路のうち、多数の参宮者・巡礼者が利用する、瀬戸内航路・伊勢湾をめぐる渡船・竹生島の渡船に対象を限定して利用の実態を検討・考察した。 参宮者・巡礼者の利用した瀬戸内航路は二つに分類でき、一は備後以西の地域の者が陸路の代用手段として大坂や室津などまで利用したもの、二には主に東日本の者が金毘羅参詣に利用した金比羅船である。前者は利用者が船問屋などに直接交渉して出船する臨時便的な性格をもつが、後者は大阪・高砂の船宿・旅籠が自ら出船するかまたは仲介する規格化・様式化された定期便である。 伊勢湾をめぐる渡船は東日本の者が利用し、いくつか経路がある中で大部分が佐屋・津島の渡しを利用した。佐屋・津島の渡しでは船番所が設置され、船賃も規定されていたが、船頭が規定船賃以外に様々な手段で金銭を要求し、場合によっては船頭のみならず船宿がこれに荷担する場合もあった。 西国巡礼者が必ず利用する竹生島の渡船は、巡礼者が船宿と渡航地を契約して乗船したが、欠航や湖上での事故が少なからず記録に残る危険なものであった。それゆえ近世末の大部分の巡礼者は竹生島から長寿寺へ向かう距離の長い渡船を避け、「石山から逆打」経路を選択して距離が短い長浜までの渡船を利用した。
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