以下は、研究成果報告書の概要である。 1.論文A 明治五年から同十二年までの七・八年間に出版された作文教科書の点数は、およそ820点ほどであり、その多くが書名に「用文章」の名称を一部もつことからも示唆されるように、当時の作文教育の実態は、十七世紀以来連綿と続く旧来の書簡文中心のものであった。また、明治6・7年ころの作文教科書には、「開化」や「文明開化」の語を冠するものが流行するが、それは内容面にも確実に反映されていたようである。その実態は、内実的には「漢語」の頻繁な使用という文体によって特徴付けられていたものであった。しかしそれらを大きく歴史的に眺めてみた場合、そのようなテキストの流行は、江戸期以来の実用的な書簡文テキストである「用文章」の一変形と認められるものである。 2.論文B 明治初期の女子作文の基本は、平安期以来江戸期まで一貫して続いた、「漢語」を否定的にとらえていこうとする姿勢を受け継いでいったものであったが、「文明開化」の趨勢のもとで、一部の教科書の中に、女子における「漢語」使用はすでに既成の事実である、という記述のあったことが指摘できる。そのようなテキストの文体は、女子用の「雅語」中心の文体に、必要に応じて実用的な「漢語」を混じていこうとする折衷的な文章観によるものであった。注目すべきは、きわめて例外的ながらも、明治初期の女子用作文教科書の中には、「漢語」の使用についての男女差をほとんど意識していないものもあったことが認められる。
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