1.『児童教育』誌の所在 各大学に分散的に所蔵されてきた『児童教育』誌について、その所在を全冊(1919〜1949)確認できた。なお雑誌の傷みがひどく、各所蔵機関で複写を謝絶される状態にあるため、マイクロフィッシュ等による雑誌の可及的速やかな保存が必要と判断される。 1.「社会科」の設置・消滅過程 (1)1934年度以降、『児童教育』誌上で「社会科」報告が突然消失する理由については、購入した古書文献の解析を通して、北澤種一主事の死去だけでなく、その底流にいわゆる「女高師問題」が存在することを確認できた。なおこの点については、全国社会科教育学会で報告するとともに、学会の機関誌『社会科研究』43号に発表した。 (2)1929年度における「社会科」新設過程については、ヒアリングと雑誌の解析を通して、その前年に金成みき江学級(一部4学年)で予備的な実践が行われたこと、及び1926年度に「社会科研究部・自然科研究部」が発足していることを確認できた。この点については、1925年に死去した芳澤喜久の「市民科」構想を軸として、彼が講読していた図書と発表した論文の解析を通して、「社会科」の導入過程を明らかにしたい。 3.「社会科」授業の受講児童に対するヒアリング 1930年3月〜1936年3月にかけて、附小第一部(「社会科」の設置学級)を卒業された児童へのアンケート調査を通して、多くの基礎データ(担任及び授業担当者の氏名、保管資料の貸与)を入手できただけでなく、「社会科」授業で実践されながら、当時報告されなかった内容を確認できた。現在、回収した内容の分析に基づいて、第二次アンケートを準備している次第である。
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