「沖縄における『国語学力』に関する研究(一) その基本問題に関する考察」における一、「国語」への意識・対し方と二、母語の教育と「学校国語教育」という二つの観点からの考察を踏まえ、今年度は「生活語」に焦点を当てて、考察を深めた。 「生活語」は、生活綴方運動において、成立し育まれてきた概念である。が、「生活語」がひらくことばの文化を正当に位置づける道筋は、「学校国語教育」において充分に耕され確かにされることはなかった。とりわけ、生活に根ざした母語の文化に根ざしてことばの文化を育むことが許されなかった沖縄教育界において、「生活語」という概念は、受け容れられることはなかった。今年度は、オバ-達への聞き書きをもとに、その語り=「生活語」がどのようなことばの文化をひらいているかについて、具体的に考察を進め、また沖縄の教育界において、「生活語」がどのように対されてきたかを、沖縄の言語教育に関わる民間教育団体の動向や諸論に即し、整理し、考察を進めた。さらに、ヤマトにおける「生活語」への対し方と比較することによって、沖縄の特色を明らかにするために、生活綴方における「方言」への対し方の振幅、「生活語」概念の深まりについて、山形県出身の綴方教師国分一太郎の軌跡に基づき、考察した。 また、学校に行っていないオバ-達への聞き書きより、近代学校で身につけることばの文化への要求が、リテラシー(読み書き能力)への要求であったことが浮き彫りになった。国家の側の要求は、話しことばの領域における「標準語」=「国語」の浸透であり、この双方(民衆の側と国家の側)の要求の相違をどのようにとらえていくべきかについて考察を進めた。
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