前近代中国は、皇帝に政治・財政・軍事・司法の大権が集中する専制国家としての特質を一貫して有してきたが、政策決定システムに目を向けると、漢代の廷議、東晋・六朝の尚書案奏(博議・詳議→参議)、唐代の宰相の議(政事堂の議→中書門下の議)、宋代の対、明代の内閣の票擬、清代の軍機処の擬旨など、それぞれの時代の中核を担ったシステムの変化を窺うことができる。更にその特質を概括すれば、宋代を挟んで性格上の変化を垣間見ることができる。即ち、前期は官僚達の合議を基軸に政策決定がなされ、その政策立案においては皇帝・官僚間に介在する宰相の存在が大きな位置を占め、又、宰相の権力を抑制する、いわば政事に対する異議申立を行う門下省系の官僚機構の発達を見、両者のバランスによって政治運営がなされてきた。一方、後期は中央集権的官僚機構の確立を背景に、宰相を介在せずに皇帝・官僚間を直接結ぶ上奏制度の発達を見、その改変とも相俟って、宰相の秘書・顧問官化が進むとともに、宰相権力抑制装置であった異議申立機構が形骸化し、結果として君主独裁が強化されて行くのである。 この変化は急激に生じたのではなく、宋代に過渡的な形で進展するのである。つまり、この時代には前期的な集議が依然として見られ一方、新たに皇帝に直接上殿奏事を行う対という、後期的性格を有する制度の発達が見られるのである。とりわけ、北宋期においては、宰相と相拮抗する政治勢力を形成し、異議申立を中心とした政治活動を行った台諫・侍従には二つの制度的基盤が確固とした形で存在していたのであり、この基盤の弱体化とともに北宋末から南宋期には専権宰相の政治の壟断化、異議申立機構の形骸化といった政治現象が現出する。この背後には皇帝・宰相間に通行する、御筆・手詔といった新たなる文書システムの展開が見られる。要するに、このシステムの登場は前期の官僚の合議から、後期の皇帝を中心とし、極めて限られた政治空間において政策が決定されるシステムへの移行を想起させるものである。以上については既に「宋代政治構造試論-対と議を手掛りとして-」と題する論文を発表し、又、南宋期の政治構造についても続稿を準備中である。
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