本研究は、13〜17世紀のドイツにおいて、どのようにして平和破壊事件の対処がなされたのかについての検討を行うことを目的としていた。本年度では、まずこの平和の問題に関する基本的文献--国制・裁判--をある程度集めることができた。さらに、本年度において特に15世紀の帝国国制の改革期、すなわち帝国改造期に焦点を当てて検討を加えた。国内の平和が広範囲において乱れていた15世紀初頭、当時の教会改革の影響も受けて、国制の改革によって平和の回復を図る動きが強くなる。その際、平和の回復・維持のために考案されたことは、帝国内を伝統的な地域区分に基づいて幾つかのブロックに分け、それぞれにおいて帝国等族が協力して、平和の維持のために貢献することとされた。これは皇帝がもはや帝国全域に対して有効な平和権力を行使し得なくなった証左である一方、帝国等族、特に有力な帝国諸侯が帝国国制的な任務を担う形へと変化していく姿でもある。帝国等族はそれぞれの支配領域内のことだけにとどまるのではなく、帝国という枠組みにおいて行動するようになっていくと考えられる。しかしここにおいて問題となったことは、このような等族たちを束ねるような機関であった。皇帝に代わって等族たちの代表が国制の運営にあたろうとする二度にわたる試みは、結局失敗に終わり、等族たちによる連邦制的な体制の樹立には到らず、レーン制原理に基づく皇帝の伝統的な権威が生命力を持ち続けることになる。この中世的・伝統的秩序と15世紀移行顕在化してくる帝国諸侯の国制への積極的な参加、言わば連邦制的な傾向に基づく秩序とが併存していくことになる。この点に15世紀以降の帝国国制の特色を見ることができるように思われるのである。本年度行った15世紀部分の検討の成果は、来年度出版予定の拙著の一部に入れて発表の予定である。
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