近世城跡に立地する近代建築遺構(一部の土木遺構を含む)は30の城跡に分布し、91を数える。その保存の状況は廃墟となっているもの、建設当初の機能で利用されているもの、本来的な機能を失っているが残されているもの、転用されて利用されているもの、記念碑的な意味から所有者が保存しているもの、文化財として保存されているものなどである。これらの建設当初の利用目的は迎賓施設、産業施設、軍関係施設、教育施設、都市基盤施設、公官庁施設、宗教施設、文化観光施設などであり、明治政府が掲げた富国強兵、殖産興業、文明開化の三大スローガンや中央集権化、学校教育の普及等の諸施策と対応していることがわかった。 これら諸施設は城跡の史跡としての文化財的価値を大きく損なうような改変を与えたことは事実であるが、地域の生活史や産業史、地方的特徴、当時の時代相を語る身近な歴史的および文化的環境の構成要素として考えることが妥当で、近代化遺産であると考えられる。従って、これらの施設について城跡の土地利用の歴史的変遷および都市史における役割や地域との関わりを評価した上でその取扱いを決めることが必要である。ところが、公園整備や史跡整備といった環境整備事業自体が藩政期の空間構成や空間構成要素の復原を目指すあまり、城跡に立地する近代建築遺構をその痕跡すら残さず撤去する場合が確認できた。 近世城跡の整備にあたっては明治以降の地域の歴史を活かし、城跡の環境に調和した近代建築遺構の保存修景手法が望まれることを提案できた。
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