本研究の課題は、ドイツ伝統文化の一つと見なしうるトゥルンフェストの歴史的変遷過程の内実を、主に西南ドイツに位置するジュヴァーベン地方の動向を中心に解明することにあったが、今年度においては以下の論文を作成するの中で上記の課題の接近を試みた。それは「シュヴァーベントゥルネン同盟の活動とコ-ブルク祭へのイニシアティブ」(第1論文)と「ベルリントゥルネン委員会の成立と啓蒙的プロパガンダ」(第2論文)である。が、中心は第1論文にあることは言うまでもない。 第1論文では研究の地域対象を直接シュヴァーベン地方に設定し当地におけるトゥルンフェストのありようをシュヴァーベントゥルネン同盟の活動を軸に浮き彫りにすることを課題としたが、具体的には「トゥルネン禁止令」(1820年)以降トゥルネンの活動の拠点が南ドイツへ移行するなかで殊にシュヴァーベン地方はドイツ民族祭典(Volksfest)の伝統を継承し「シュヴァーベンペンタトロン」と呼称された民俗的トゥルネン(走、跳、投、運搬、登攀、レスリング、水泳など)を器械運動種目と併せて重視していたこと。また祝祭での各種のシンボルと役割行為がトゥルナ-の公共領域を形成し3月革命以後それが国民国家形成への媒介項ともなっていること。またシュヴァーベントゥルネン同盟が傘下協会との協議の下に同盟トゥルネン祭典を革命以前から継続的に開催し、それが第1回ドイツトゥルンフェスト(コ-ブルク祭)の先駆的実践ともなり、したがって協会領袖のコ-ブルク祭典開催のイニシアティブ発現の根拠にもなっていたことなどを解明した。第2論文が第1論文で明らかにしたシュヴァーベン地方におけるトゥルンフェストの中身を相対化し意味付けるために、プロイセン王都ベルリンのトゥルネンの状況をベルリントゥルネン委員会の啓蒙的活動と連関させつつ解明しようと試みたものである。 今後の課題は1860年代以降のシュヴァーベン地方の状況を実証していくことにある。
|