研究概要 |
研究の全体的な目的は、真理概念の位置付けを再検討することである。この問題では、同一言語を用いている人々が異なる真理概念に与していることをどのようにして示すことができるか、その異なりをどのような違いとして記述できるかが重要である。この点について、アウグスティヌスによる新アカデメイア派懐疑論論駁のテキスト分析から以下の知見を得た。(1)両者の間で、uerus,ueritasと明示的に相関する(これらを主に意味上の目的語として)動詞的表現の用法は、それぞれとしては整合的だと考えられる異なった真理観を構成するものであると考えられる。(2)このことを指摘するためには、uerus,ueritasそのものではなく、probabileという概念のそれぞれの用法の違いに注目し、それが行為の記述においてはたす役割およびその行為論における位置づけに目を向けることが必要である。(3)行為に関わる判断(とりわけ、行為の同定と行為者の同定に関わる行為者自身による判断)における真理概念の位置付けは、判断をめぐる行為者自身による問い、問い直し、といった心的活動の論理的原理的前提としての「真」という視点が、人間観、世界観という規模の論考の射程に及ぶものであることを示している。また、「告白」第十巻のテキストによって、心的活動のどこでどのようにueritasが関与するのかを分析検討し、「真である」ということは、正確さ、明証性、必然性、等を何等か伴うと語られ得るとしても、それらによって真が説明されるのではないと考えられることを示した。以上については、現代の言語論・意味論の研究から登場してきた、真理条件意味論批判のような、正誤とは別の概念として真理概念を位置づけようとする試みと問題を共有するものであると考えている。これらについて研究会等で発表する機会をもち、アウグスティヌス研究者だけでなく、古代ギリシャ哲学及び現代の言語哲学の研究者たちと、意見を交換し、考察を深めることができた。
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