本年度の計画は該当作品の所在調査が主であり、調査地域は京都・奈良を中心に北関東から上越、九州に及んだ。東西の美術作品の様式差を把握する点で、大きな鍵になるのは、鎌倉・小田原地方といった東国の文化地域が中央の先進様式を受容していく、その過程の態様を探ることにあるが、その観点においていくつかの傾向が顕著に表れたのは水墨画の分野であった。以下、列記してみる。 1<詩画軸における東西のタイム・ラグ> 詩画軸として形式は室町初期・15世紀前半において、京都の五山で隆盛し、これず鎌倉地方にもたらされるのだが、そのタイム・ラグは案外に短く、さほど時をおかず鎌倉五山のサロンでも受容されていることが窺える。これは根津美術館の「坡錦斎図」、正木美術館の「渓陰斎図」などの詩画軸に15世紀前半の鎌倉五山僧が着賛していることによって明らかになる。しかし東西の違いは、中央では16世紀に入ると詩画軸の生命力が衰えてしまうのに対し、東国では連綿と継承され、それも題字を中央に大きく付すといった旧式の作法も色濃く残存し、地方的な保守性を室町後期になっても示している。 2<室町期の鎌倉地方の地域的保守性> この地域的保守性に関連して言えることは、鎌倉地方では鎌倉時代に流行った北宋系や浙派風の水墨画が室町期になっても残存し、さらに15世紀後半に祥啓が中央の院体風を将来し、一時、新様式が隆盛するが、その弟子たちは次第に元の土着的な様式に回帰してしまうことである。 3<後北条氏時代の狩野派様式導入> 次に16世紀半ばになると、中央から狩野派の新様式がもたらされ、祥啓に次ぐ、第二の革新時代が訪れる。これも一時は清新な風潮を鎌倉画壇にもたらすが、祥啓の弟子たちなどの地方絵師がこれを模倣していく過程で、次第に地方的な土臭さを帯びていくことである。 以上の三点は新様式を次々に生み出す中央とそれを受け入れる地方画壇の保守性という特性を如実に表すものであり、東と西、中央と地方の大きな相違をあらわすものである。今回、求められたこれらの例証をもとに、さらに東国といった広い範囲に視野を広げ、中央との特質差を明かにしたい。
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