本研究は中世期における、東西の様式の相違や影響関係を、絵巻物と水墨画の分野に探った。ここで明らかになった東国美術の特質としては、絵巻物では中国の水墨技法の導入であり、室町期の水墨画においては、前期は鎌倉時代以来の地方的な作風を維持してきたが、中後期には中央で次々と成立した中国院体画の様式や狩野派様式を受け入れたことである。逆に東国の地方様式が中央に与えた影響といったものは不明ではあるし、恐らくさほど大きなものではなかっただろう。 このことをより具体的に言えば、東国画壇では鎌倉期以降の地方的伝統が連綿と続く一方で、西国から数度、新しい絵画様式の波が押し寄せ、その都度影響を受けて変質しながらも、再び独自の地方性に回帰していくという、中央的なるものと、地方的なるものとの、交互の繰り返しが看取された。このような中世の東国画壇に低通するのは、地方的な土臭さといったものであり、決して洗練されたものではない。それは良くいえば斬新で剛毅、悪く言えば旧態を常に固執続ける保守性である。 しかしこのことは単に地方の保守性から脱却できなかったというマイナスの面よりも、むしろ鎌倉期に確立された文化イメージを絶えず保持しているという自信、さらに東国人みずからの文化に対する確固とした志向性など、プラスの面を十分に評価すべきものと考える。 以上、東国絵画の一番の特質は中国の水墨画の様式をいち早く取り入れ、長く保持したことである。いっぽう、中央の絵画において日本在来の手法に水墨画の描法が導入される過程は未だ解明されていない部分が多いが、その問題を説く重要な観点の一つとして、当時、宋元の文物が直接に舶載された鎌倉地域、そしてその影響を多大に受けて発展した東国の絵画作品は看過できない要素を含んでいる。 このような視点からすれば、本研究は東国・西国の絵画様式の相違を考察するにとどまらず、今後は東アジア美術全体の絵画動向を探る、という展望の中で考察されてこそ、はじめて今日的なものになると思われる。
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