産業化が世界経済システムの中で生起する以上、環境問題の加害構造(問題を発生させる要因の布置連関のパターン)、被害構造(発生した被害の布置連関のパターン)は、その問題が生じた地域の歴史的、地理的位相に即して見ていかなければならない。こうした視覚から、本研究では、明治期日本の足尾鉱毒事件と、現代フィリピンのパサール銅製錬所を中核としたレイテ工業団地の事例との比較を試みた。 まず、加害構造の面では、両者とも世界的な電力需要の増大にともなう銅線生産の拡大が背景にある。しかし、足尾の場合はヨーロッパにおける初発的な電力需要の拡大であるのに対して、レイテの場合は、後進的なアジア地域での需要拡大である。そして、足尾の時代には、生産の拡大にともなう公害防除技術が味確立であったため、被害が起きたのに対し、現代では、防除技術が確立しているにも関わらず、世界市場における後発的不利のためコストの大きい防除技術の採用を妨げているのである。ただ、開発独裁的な国家体制のもとで、産業化至上主義的な政策がこうした企業行動を正当化するとともに、被害住民の運動に抑圧的に機能している点は共通している。 また、被害構造の面では、ともに零細な農漁民の被害が大きく、職業移動と地域移動をしているいう共通点がみられる。しかし、足尾の農民層は、他の地へ転出しても農業を継続したのに対して、レイテの農漁民層の場合、工場の臨時雇いなど雑業的な仕事へと転換している人が多い。これは、足尾の時代と異なり、現代では家電製品を中心としたアメリカ的生活様式が普及しつつあると同時に、雑業的な仕事の方が農漁業より現金収入が多いためであると考えられる。このように、本研究の結果として、加害-被害構造の両面で、歴史的な位相の差異が反映しているということが、明らかにされたのである。
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