岡山孤児院の実践の歴史を日本の近代史に残る実践と仮定し、その立場から、石井記念友愛社に現存する資料の整理と、それらの資料を使っての研究を実施した。 その結果、同院の全在院児がほぼ2238人であることを確定し、彼らの個人別のデーターから(1)入退院の推移、(2)出身府県別推移、(3)在院期間の推移などの統計的分析を実施した。そして、この統計的分析が、同院の実践とどうリンクしていくかを検証し、同院の実践の歴史的、社会的役割やその貢献度をまとめたところ、同院の積極的な孤貧児収容が、院児のライフステ-イジの確立に向けての養護実践と関わりながら実施されていることを明らかにした。 また、このような養護実践を可能にしたのは、財政的確立がなされていたからであるが、当時の岡山孤児院は国や県からの補助がほとんどなく、すべて自主財源であった。この自主財源の中心は、音楽幻燈(活動写真)会での寄付金募集であり、その実態を次にまとめた。同会は、1897年から1911年まで実施され、日本の全国各地を何度も巡回し、清国、台湾、韓国、ハワイ、米国にも行き寄付募集を実施した。(ハワイ、米国は音楽隊は同行せず)この巡回活動を、6つの時期に分けて実施時期、場所寄付金収入の内容と特質を明らかにした。
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