本年度の研究の結果、これまであまり研究されてこなかった外部試験制度の存在について、歴史的に分析することができた。外部試験制度はもともと大学進学者を選抜するために考案されたものであり、そのなかで古典的カリキュラムが重要視され、それによってパブリックスクールの地位が温存されてきたのである。一方公立学校制度の枠内で発展して来た中等教育学校制度では、グラマ-スクール・タイプのみが外部試験制度への参加を認められ、極めて限定的な人数の子供達のみが学歴エリートへの道を進むことになる。その中でも労働者階級の比重は軽い。さらに11プラス試験などによってグラマ-スクールに入る資格をもっている子供達の多くが収容許容量が少ないという理由から排除されて来たという事実が浮かび上がった。この間の研究の副産物として、IQテストの再評価の必要性を感じている。また、コンプリヘンシブ・スクール体制に移行した後も、労働者階級の高等教育への進学率はあまり増大しなかった。それと関わって第二に、なぜイギリスではこれほども長い間、パブリックスクールがエリート再生産機構として機能したのかという理由の一つとして、労働者階級の反学校文化の存在をあげることができる。しかし、もしそうだとしたら学校は何等機能しないことになる。これらについては、教育の可能性を問題とするマイケル・バーバーやバジル・バーンシュタインの研究を今後も続けることにする。第三に、19世紀後半、パブリックスクールの頽廃が、とくにその中でもエリート校として重要な位置を占めていたイ-トン校において顕著であったこと、当時の教養人を巻き込んだ論争が起こっていた。こういった論争の中から、イ-トンでは教育過程は極めて個人主義的にチュートリアルで行われ、評価をイ-トン校のマスター達が行なったという事実が浮き彫りにされた。つまり、イギリスの典型的な学校教育においては、教授活動および評価もきわめて個人主義的に行われるということである。この点にイギリスの教育に対する考え方の特徴を見出すことができる。そしてこの特徴は、実はその後、全般的に拡大されてきたのである。こういった視点からイギリスの公教育像全体を見直す必要が出てきたといえる。
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