1.四上水の実像について 「玉川上水大絵図」(東京都公文書館)、「正徳末頃ノ上水圖」等の絵図史料と江戸の都市図、『東京市史稿上水篇』第一、第二、『復刻 千川上水』、『江戸の上水と三田用水』、『本所区史』等の資料を用い、四上水の実像(配水区域、上水配管、分水断面)を具体的に明らかにした。 2.四上水廃止と江戸の災害・防火政策との関係について 江戸の災害(火災と水害)について『東京市史稿 変災篇』、吉原健一郎「江戸の災害年表」を基礎資料に用い、また、防火政策については池上彰彦「江戸火消制度の成立と展開」を基礎資料とし、四上水配水区域の災害を分析した。千川上水は江戸城の防火対策、本所上水は水害が廃止の理由として指摘できる。 3.四上水廃止と武蔵野台地での新田開発の関係について 「正徳末頃ノ上水圖」と『上水記』を比較して、亨保・元文期の武蔵野台地での新規の新田開発が、(1)千川・三田・青山三上水の上流側で行われている、(2)新規の取水量が廃止された三上水のそれより少ないことを明らかにした。この過程で重要な役割を担ったのが大岡越前守忠相であった。 4.室鳩巣『献可録』の建言について 室鳩巣『献可録』の建言の内容を詳細に検討し、(1)従来いわれてきた水道火災原因説は建言の一部である、(2)火災の原因について的確に把握している、(3)江戸城の火災対策として城の北方の水道、および南方の水道を撤去したいと主張したものであることを明らかにした。また、既往の研究が建言の水道火災原因説のみを取り上げ、その拡大解釈を行ったこと、通説は『中嶋工学博士記念 日本水道史』を嚆矢とし、『東京都水道史』で確立し『日本の上水』で広まったことを明らかにした。
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