ナミビアにおけるナチズムとアパルトヘイトとの関係を、その実態的相互作用に即して分析することが本研究の目的である。 1920/30年代のナミビアにおける政治的変化の前提は、第一次世界大戦前のドイツ統治時代にある。ドイツは世紀初頭のヘレロ・ナマ蜂起の鎮圧過程で、「ジェノサイド」の考え方を導き出し、人類史上初めてそれを実行に付した。一方、アパルトヘイトは1930年代にその基本が誕生したが、その核心となる人類隔離の施策は、世紀転換期の南ア戦争の中で生み出されてきた。黒人専用居住区域として「リザ-ヴ」がおかれ、都市部でもその外域に隔離地域が置かれた。この空間的分離こそ、アパルトヘイトの理念を可視化したものであった。 ナミビアでは1920年代に「ドイツ同盟」などの組織化によりドイツ系住民のナショナリズムが高揚するが、それはやがてナチスの出現とともに「強制的画一化」された。ナミビアのナチズムは、ドイツ本国におけるヒトラーの政権掌握に刺激を受けたものとはいえ、南部アフリカに固有の要素を深く内包していた。その中心が反ユダヤ主義である。南部アフリカにおいては、反ユダヤ主義は白人内部の民族的対立の問題でありながら、黒人の隔離すなわち白人下層(その中に下層ユダヤ人が含まれる)と黒人層との差異化という人種主義的解決によってのみ昇華された。すなわち、アパルトヘイトは反ユダヤ主義に対応する形で出現し、そこからナチズムへの道が開かれた。ナチズムとアパルトヘイトという二つの人種主義は表裏一体をなしてこの時代の南部アフリカ社会の骨格を形成していったのである。
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