1.柏屋と柏原家の人々の書簡について (1)「柏屋の書簡」は「京都柏屋から江戸柏屋への書簡」「江戸柏屋から京都柏屋への書簡」に大別されるが、前者は京都柏屋・柏原家に生じた商業上・家政上の問題についての指示・助言を求めたもの、後者はその返答が多い。これらは、その内容や重要度に応じて、四〜五種類に分けられていたらしい。 (2)「柏屋と柏原家との間の書簡」は主に柏原家から柏屋の人事に関する指示、柏屋からの商業上の報告書が多い。ただしこれらは形式的なものである。柏屋の人事についても柏原家は柏屋からの推薦に基づいて任命するのみのようであるし、商業は完全に江戸柏屋が主導している。柏原家の人々の心事をこれらの書簡から読みとることは困難である。 (3)これらの書簡の執筆年次は、古いものは正徳年間、数が多くなるのは化政期からのようである。しかし、控え帳に記載された書簡以外は詳しい年月日が判明したものは未だ数少ない。なお、正寿尼・孫三郎の往復書簡についての検討はいちおう終了した。ほとんどが文政元年〜三年の執筆のようである。 2.著名歌人の書簡について (1)香川景樹の柏原正寿尼あて書簡は、『桂園遺稿』所収の「歌日記」と洛東遺芳館所蔵文書とを参照することによって約四分の一が推定できた。それらのうち幾通かは、『香川景樹研究』(田中仁著、和泉書院刊行予定)に利用している。 (2)小沢蘆庵、加藤千蔭、伴蒿蹊、小川布淑、小野勝義、大江広海などの伝記研究が遅れている歌人の書簡の年次推定は難航している。ことに広海は歌に簡単な挨拶を加えたのみの書簡がほとんどで、執筆年次推定は断念せざるを得ないであろう。今後は比較的参考資料の多い蘆庵・千蔭・蒿蹊の書簡を調査したい。
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