本年度は、大別して二つの作業を行なった。第一に6年度に収集した主に秘密投票制関係の資料を読み進めて整理する作業であり、第二に選挙制度改革関係の資料を収集する作業である。 これらのうち第二の作業は、資料収集が中心でまだ通読をはじめた段階であるので、ここでは、以下、第一の作業の成果について、概略を示すこととする。 1.秘密投票制の賛否をめぐる急進派との賛成と二大政党の反対という分極化は、たんに選挙制度上の技術的問題としてではなく、むしろ、伝統的体制の是非を問う、いわば体制選択論の問題として生じた。ただし、反対論にかんしては、トーリーとウィッグで、多少のトーンの違いがあった。前者は秘密投票制が既存の支配構造の存続にとって致命的であるという点を率直に主張したのに対して、後者は、そうした認識を共有しながらも、秘密投票制論者が問題としているような選挙における有力者による脅迫や買収といった悪弊は、秘密投票制の導入によっては必ずしも現実的に解決できない点を強調していた。 2.秘密投票制反対論には、加えて、本質論的反対論として二つの主張があった。一つは、議員や官僚による権力行使と同様、選挙権の行使も、いわば信託であって、公的利益を考慮に入れて行なわれるべきだが、公開性を欠いた投票様式は、私的動機の支配を許してしまうという議論である。もう一つは、イギリスの国民性は自由とオープンであることを長所としているが、秘密投票制はこうした国民性を損ねてしまうという反対論である。 3.秘密投票制は、1830年代以来60年代に至るまで、急進派系もしくは改革的リベラルの議員によって繰り返し提案されたが、結局、成立したのは1872年になってからであり、その成立以前の50年代から60年代にかけては、支持派はさして増加しなかった。たしかに、中間階級の支持を不可欠とするような都市型選挙区からは、秘密投票制を支持する議員が選出されたけれども、彼らの支持の姿勢はむしろ選挙対策としての性格が強く、法案成立の熱意は必ずしも高くなかった。 4.秘密投票制支持がこのように低迷していたにもかかわらず、1870年代に入って一挙に法案が成立した事情は、一義的には説明困難であるが、大きな要因として指摘できるのは、二大政党が大衆民主主義化に即した組織化や政治スタイルを採用し始めたことである。 本年度は論文や報告として上述の研究成果を発表できなかったが、来年度は、選挙区問題の検討と並行して、この成果をさらに煮詰めた形で論文として発表する予定である。
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