1.本研究では、19世紀イギリスの代表的思想家であるJ・S・ミルを中心に据え、秘密投票制導入や選挙制度改正の是非をめぐる同時代の諸議論を背景として取り上げる。ミルを中心に取り上げるのは、彼が1840年代末までは、秘密投票制の導入を要求するという点で急進派の諸勢力と同調しながら、それ以降、反対の立場に転ずるという興味深い見解変更を行なっているためである。 2.ミルによる秘密投票制反対論は、それ自体としては、投票は信託であるがゆえに公開性を持つべきであるという伝統的反対論を踏襲しているが、しかし、ラッセルやパーマストン等自由党指導者の反対論とは、根拠をいささか異にしていた。その相異は、究極においては、有権者の投票行動に影響を与える政治的エリートの把握の相異に求めることができる。政党指導者たちは、公開投票制を維持することで、依然として強力であった地主貴族層の政治的リーダーシップの確保をめざしていたが、ミルは、階級的出自にとらわれない知的エリートの影響を確保するために、公開投票を要求したのである。 3.ただし、この相異は過度に強調すべきではない。というのは、いずれも、大衆民主主義化の進行の中でエリートのリーダーシップを確保するという志向において共通しているからである。こうした志向の根底には、エリートに対する民衆の恭順(deference)をイギリス議会政治の社会学的前提として自明視するという態度があった。しかも政治家たちは、恭順確保の資源として、財産や家柄ばかりでなく、ミルが強調したような知的素養もまた有効であることを認め始めていた。従来、この時期については、情緒的な形で世論に訴えるという大衆民主主義の政治的手法の登場が強調されてきたが、実際には、変容しつつも残存している恭順の精神が、依然として大きな役割を果たしていた。この点は、選挙制度全般をめぐる当時の議論においても重要な前提であった。
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