スポーツ運動における発生の問題を取り扱うための基礎として、当該の運動の構造をどのように運動者の立場から捉えなおすのかという問題圏に至る。このような問題を解決する際に、運動の発生を担う「こつ」をどう捉えているのか、その時に運動者は「身体知」として運動の構造をどう捉えているかということを明らかにしていく事が重要となり、本研究では、ゲーテあるいはポイテンデイクの意味でのモルフォロギ-にその研究の地平を求め、現実の運動を見つめ直すことの必要性が確認されてきた。 このような科学論的認識のもと、運動者の感覚世界に潜入の必要性を唱えた金子による「感覚運動系の図式技術」の概念、「潜勢自己運動」の概念は、「身体知」としての運動構造を解き明かすためには欠くことのできない概念であり、この図式技術と運動構造との関係、潜勢自己運動における運動構造の明示等を検討する必要性を認めた。 運動の差異を認め、構造化されたかたちを認め、類型化していく構造モルフォロギ-を理解するためには、具体的な実践現場が基礎となるものであり、実践現場との往復をかさねながら「身体知」としての運動構造が浮き彫りになる。本年度は、スポーツ運動の実践現場における逆さとひねりの融合した世界を取り上げ研究を進めてきたが、運動者本人の世界からみた運動のかたちをどのようにしたら記述することができるのかという運動記述問題、どのくらい運動者の世界に潜入し共振できるのかという問題等課題は多いものの、次年度までには「身体知」としての運動構造を、ある一定程度の結論まで導き出したいと考える。
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