日本の象嵌技法は韓国の三国時代の百済又は伽邪の地から、古墳時代中頃(5世紀)に伝来した。 以来、古墳時代を通じて、奈良県(大和)南部の特定の職能集団(工人集団)によって数百点の装飾文刀が製造された。象嵌を科学分析すると金象嵌は金の濃度が70〜80%、銀の濃度が30〜20%を示し、銀象嵌はほぼ100%(純銀)を示し、統一的なデータが得られた。また象嵌装飾大力の象嵌文様の画一性、その時代変遷、糸象嵌技法の共通性などから、象嵌技術をもつ特定の工人集団の存在が浮かびあがる。 この日本象嵌技術の特性(画一性、独占性)は、糸象嵌技法とならんで平象嵌技法が導入される平安時代以降、中世紀まで一貫した流れとしてとらえることができる。
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