日本の古墳時代から中世の家嵌遺品役200例について、実見または文献により調査し、そのうち約50例について、X線写真撮影、顕微鏡観察、X線分析を行うとともに、これら象嵌遺品の考古学的・歴史的考察もあわせて行った。 日本の象嵌遺品は3〜4世紀に中国及び朝鮮半島より伝わり、やがて5世紀には銘文大刀や象嵌太刀が多量に製造されるようになる。古墳時代のおよそ200年間の象嵌大刀が約300例発見されている。象嵌の組成成分分析の結果、金象嵌は金70%台・残りは銀、銀象嵌は純銀、銅象嵌は純銅を使用し、象嵌技法はタガネで文字・文様を彫り、金属線を嵌め込む糸象嵌で、タガネの運びの長さ・象嵌線の幅も、この時代を通じて共通している。また考古的考察からは銘文大刀は一国一群を支配する豪族、象嵌装飾大刀は一郡・一里を支配する豪族・有力者が所持していたことが判明する。象嵌大刀はこの時代・大和の一工房で独占的に動作され、地方に配付されたことが科学的・考古学的分析から明らかになった。 奈良時代以降、象嵌遺品は極めて少くなるが、平安時代に採用される平象嵌技法による遺品は、すべて京都で製造されたと思われ、この時代にも象嵌は独占的に一工房で行われたことがわかる。 さて、奈良時代以降にも、象嵌銘文大刀に限っていえば、飛鳥、奈良時代に中国からもたらされた三寅剣等とモデルとなってわが国で製作されるが、この時代には、既に政治性を離れて、もっぱら疾病平いや攘災などを神仏に加護するものとなっている。象嵌技法は精緻を極める。飛鳥奈良時代以降も、象嵌はやはり、特殊技術として伝えられていたことが判明した。
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