本年度はおもに秦漢時代の銭(青銅貨幣)のあり方について研究した。 まず論文「秦漢時代における物価制度と貨幣経済の構造」で秦漢貨幣経済の骨格を明らかにした。すなわち秦漢時代には、基本的に銭を価値尺度手段とする、固定官価・平賈(正賈)・実勢価格よりなる可変的な物価制度が存在し、銭以外のすべての物財(黄金・布畠を含む)を対象とするものであった。そのため銭は、金本位制・布本位制などによって価値を保持していたのではなく、他の要因により価値体系の中核となっていたことになる。そこで秦漢帝国が当初、同一の銭文をもつ銭のみを流通させ、その枚数換算によって商品の価値を計る体制を維持しようとしたこと、しかるに民間では銭が秤量貨幣として扱われる傾向にあったことを論じた。その結果、のちに軽銭が軽銭として受け取られることになり、民衆が銭文に従わなくなり、官が民間の意向に沿い、より実質重量に近く、価値物としてほどよく民間に受容されるような銭文に改変せざるを得なかった事情を明らかにした。これより私は、これこそ漢がいくども銭を改鋳した理由であり、かかる官民間の相互関係から生じた均衡点が「五銖」銭であったと想定した。 つぎに論文「秦漢時代における銭と黄金の機能的差異」で、秦漢時代の褒賞金・懸賞金制度「購」に着目し、そこでの黄金と銭の使われ方の違いについて検討した。その結果、黄金は賜与物として概して銭よりも高い象徴的価値を帯びていたとする通説が誤りで、むしろ黄金と銭の流通回路は根本的に異なることを立証した。すなわち、再分配において黄金と銭のどちらが選好されるかは、制度的・習俗的・経済的要因によりそのつど変化するもので、黄金の象徴的付加価値の高さのみを強調することには問題がある。そこで、訳注「張家山第二四七号漢墓竹簡訳注(五)金布律訳注」で、漢初の黄金・布帛などの「貨幣的存在」の特殊なあり方を究明した。
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