前年度に引き続き、プラトン作品(『メノン』『パイドン』『パイドロス』に限らず)の中に、「探求」「学習」とは「思い起こすことである」といういわゆる「想起説」的モチーフを再確認する試みを進め、その意義の発見に努めた。プラトン初期対話篇(『ソクラテスの弁明』『ゴルギアス』)にも想起説と軌を-にする文脈のあることを指摘した英語論文"Socrates's Avowal of Knowledge Revisited"は、国際雑誌Hyperboreusに昨年度受理され、今年度はレヴュアーとの意見交換を経て加筆訂正を加え、2009年6月に校了・掲載予定となっている。また国内でも、日本西洋古典学会での口頭発表、および西洋古典学研究LVIIへの論文投稿・掲載(「探求することと想起すること-『メノン』81-86を中心に」)により、「吟味・論駁」と「想起説」の対立を示す欧米の有力解釈について、再検討と批判を行った。 また最近英語圏で出版されたプラトン哲学やヘレニズム哲学についての入門書の邦訳を手がけ、その際には、単なる翻訳作業にとどまらず、関連する諸文献をたどることによって、プラトン哲学やヘレニズム哲学の自らの理解を深める作業も行うとともに、ギリシア・ローマ哲学という、より広い文脈での「想起説」的モチーフを確認した(例えば、プラトンの『メノン』におけるいわゆる「探求のパラドクス」の議論と、ストア派の運命論を批判するいわゆる「怠惰な議論」の類似性や、また「想起説」と、ヘレニズム哲学のキータームである「プロレープシス」「エンノイア」との関連性等)。それらの成果は、現代にいたる認識論の歴史における「想起説」の意義をも見据えながら、今後さらに追究されるべき研究課題の一部に発展すると思われる。
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