本研究は、1948年の北朝鮮の建国当初から1950年代に至る時期、そして1970年代を主たる対象として、北朝鮮の農業政策の形成過程および展開過程を、国内・対外的要因を考慮しつつ解明することを目的としている。初年度には、特に1970年代に関する部分の考察を進め、当該時期に、北朝鮮が自らの農業政策を韓国に対する優位性を示す象徴的な存在と見做し、対外宣伝や第三世界諸国に対する農業関連の援助といった形式でそれを活用したこと、つまり農業政策が「対外的」性格をも帯びるに至ったことを、各種一次史料の精読を通じて明らかにした。また、斯様な状況は、カウンターパートたる韓国においては、折から進行中の農業振興政策「セマウル運動」について、より農村地域での政権支持基盤の拡大を志向したものへとその内容を変容させ、また、北朝鮮の農業政策に対抗して同運動を海外に「輸出」せんとする志向をも生ぜしめた。このような南北間の農業政策を通じた「相互作用」の経過と帰結については、雑誌論文として発表済みである。 ただし、実際の国内的側面においては、北朝鮮の農業は既に深刻な隘路に逢着しており、種々の手段による状況の改善が試みられていた。その代表的な事例が、志操堅固な党員・大学生らからなる小集団を生産現場に派遣し、生産活動の監督にあたらせる「三大革命小組運動」である。1974年に表面化した同運動は、従来の大衆動員型の増産運動への反省に基づく新たな形式の経済刷新策であったが、政権の掌握過程にあった金正日の指示により、各級党組織を通じた指揮系統とは別に、自らが指導する党組織部・宣伝扇動部を通じた独自の指揮系統を立てる措置が採られたことは、生産現場における同小組と党組織との摩擦を生ぜしめ、結果的に同運動は経済全般に一層の混乱をもたらすこととなった。従来十分な考察がなされてこなかった同運動に関しては、既に学会発表を行い、雑誌論文の発表も予定している。
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