今年度の研究は、前年度までの研であった「ドイツ文筆家保護連盟」(Schutzverband Deutscher Schriftsteller:以下SDS)の設立から解体までの組織変遷を、近代以降のドイツの文筆業をめぐる諸問題と、世紀転換期からワイマール共和国期における全般的な社会運動との関連を再度ふまえながら概観し、組織解体直前の動向と、1933年以降、フランスへの亡命を果たしたSDSの活動について重点的に調査した。 SDSは、ナチス権力掌握前夜、つまり、1920年代後半から30年代にかけて度重なる内部崩壊の危機にさらされ、それまで超党派的組織としてドイツ文筆業界に君臨してきた組織力に翳りが見え始め、組織の斜陽化の一途をたどることとなる。SDSは、組織内に生まれた政治イデオロギーにより、文筆業の代表機関としての本来の機能を失ってしまう。1933年6月9日に設立されたナチス国家直属の文筆業による情報プロパガンダ機関である「ドイツ文筆家帝国連盟」(Reichsverband Deutscher Schriftsteller:以下RDS)は、それまでドイツで活動展開していた文筆家団体を次々とその傘下に入れ、SDSもついに同年7月31日、RDSへ吸収合併され、SDSは、1909年から続いたドイツでの活動に幕を下ろしたのであった。 SDSが組織の終焉を迎えた後、フランスへ亡命を果たした一部のSDS会員により、組織解体から僅か三カ月後の1933年10月31日、パリで「亡命におけるSDS」(SDS im Exil)が結成される。この組織は、1935年6月21日〜25日までの五日間、パリで開催された反戦・反ファシズムと新しい文化創造を目指し、世界38カ国から約250名の作家、知識人が参加した「第一回パリ国際作家大会」に参加し、大会四日目にドイツ亡命作家団体代表として共同声明を発表している。このように、SDS亡き後、その理念を継承した「亡命におけるSDS」は、ドイツの反ファシズム亡命文学者、知識人の一大拠点として、戦後まで持続的な活動をパリで展開したのであった。 今後の研究の展望として、パリ亡命期のSDSの活動を追っていくとともに、SDSが組織解体へと至るプロセスをより詳細に追っていき、ナチス政権による文筆業の統合と、亡命作家の活動を比較しながら1933年以降の国内外の文筆業を包括的に考察していきたい。
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