源氏物語は細部にいたるまで十分に読み解かれ、すでに研究しつくされた作品のように評されることがある。しかし、源氏物語の本文と、これまでの研究成果を丁寧に検証してゆくと、決してそのような状況にはないことを、本年の研究実績では、さまざまな角度から明らかにした。 源氏物語は、延喜七年以前を舞台にしているという、よく知られた説がある。これは室町時代の一条兼良によって唱えられ、今日にいたるまで疑われることなく踏襲されてきた。現在刊行されている注釈書のほぼすべてに記載され、一般の読書人を対象にした啓蒙書などにも説明がある。しかしこれは、桐壺巻の文章の単純な誤解のうえに生じた説であることを、本年の私の研究では、平安朝の古記録や、源氏物語中の表現の調査から明らかにした。また、上記のことを証明する過程では、この時代、母后を喪った御子たちは、その四十九日が終わるまでは内裏にあがらないという不文律があったことをも明らかにしたが、源氏物語の文章や主題を具体的に検討することを通じて、平安時代の文化的・社会的特質、死生観などをも解明した。 また本年の実績の第二として、源氏物語夕顔巻の「心当てにそれかとそみる白露の光そへたる夕顔の花」の理解について検証した。当該歌は古注以来、今日に至るまで、定説を見ない歌である。本居宣長の解釈がほぼ通説となってきたが、近時それを真っ向から否定する新説が提出された。本年の私の研究においては、両説を十分に吟味した上で、ともに妥当な解釈とはいえないことを、この時代の和歌の用法などを通じて明らかにし、物語和歌の理解を更新した。
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