1940年6月以降、ドイツによるフランスの占領と戦争の拡大により、インドシナは本国から孤立し〓〓態に陥いる。この時期、植民地の存在は、フランスにとって新たな重要性を帯びる。ヴィシー政権に〓〓て植民地は、国民統合と国家再建のための中核に位置づけられ、また、ドゴール派にとっても本国解〓〓ための拠点としての意味付けがなされた。1943年前半までに、ほぼ全ての植民地がドゴール派の陣営〓〓いたのに対し、インドシナは唯一、戦時期を通してヴィシー体制の存続した例外的な地であった。本〓〓は、この時期、インドシナでフランスが展開した統治政策を、日常レベル、プロパガンダ、文化政策〓〓点を軸に明らかにした。インドシナは、ヨーロッパの戦火から最も遠い場所で、ヴィシーの政策が最〓〓期にわたり展開された植民地であり、そこでは占領者ドイツの意向を伺うことなく、フランス「特有〓〓植民地統治政策を明白にみることができると考えた。この時期のインドシナを論ずる際に、避けて通〓〓とができないのは日本軍の駐留という問題である。フランス軍の脆弱さにより、フランスは日本の駐〓〓受け入れざるをえず、日本もまた、インドシナを太平洋戦争遂行のための安定した基地として温存さ〓〓方針をとったため、1945年3月に日本軍がフランスを排除するまでほぼ5年間にわたって、両者はイ〓〓シナで同時に存在したのである。本研究は、ヴィシー体制下のインドシナ植民地当局が主導した統治〓〓の文化的側面を明らかにすることに主眼をおいたが、同時に、フランスがおおいに意識したであろう〓〓測される日本の政策の実態も視野にいれた。そうすることによって、ヴィシー・フランスが、最後の〓〓札となる極東の植民地で、新たな占領者である日本の出現を前にし、どのような構想のもと、いかな〓〓治政策を実施しようとしていたのかを明らかにした。
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