本年度は、生命倫理政策の歴史的過程について日米比較の視座による調査研究を本格化した。具体的には、まず、日本の1970年代における組換えDNA実験規制の導入に関する研究報告を公表するとともに、補完的な文献調査の成果をもとに報告内容を大幅に改稿した内容の学術論文を投稿した。また、米国議会図書館所蔵資料等を対象とする歴史的文献調査を実施した。 分析の結果、日本における組換えDNA実験規制の導入過程は、組換えDNA研究を推進する「科学者グループ」が、1970年代後半に日本学術会議、文部省学術審議会、科学技術会議の審議に関与することで展開したといえる。科学者は行政官と協力して米国の国立衛生研究所(NIH)指針を参考にした規制審議を実施した。日本の実験規制は、1975年2月に米国で開催され科学者の自主規制を唱えたアシロマ会議の影響だけでなく、日本学術会議の組換えDNA実験への反応や、NIH指針に関する意見照会など多様な契機を反映して導入されたといえるだろう。 本研究から、日本の組換えDNA実験規制は、生命科学の安全管理の審議、安全委員会など審査機関の導入、生命倫理の議論の活性化に影響を与えたと示唆できる。まず、日本の実験規制導入の特徴として「リスク評価」より「安全管理」の議論が中心であったと指摘できる。日本では、生命科学のリスク問題に対してハザードの発生を想定した安全管理体制が構築されたといえる。また、安全管理の審議は、安全委員会など審査機関の導入につながった。大学等の研究機関における組換えDNA実験の安全性審査は、文部省学術審議会の「組換えDNA部会」で実施されることになった。さらに、実験規制をめぐる審議を通じて生命倫理の一部が形成されたといえる。学術審議会「科学と社会特別委員会」の審議は、科学研究への国民の理解と支持を得る方策として生命倫理を理解する関係者を生んだ。 次年度は、日本の導入過程の検討で得られた知見をもとに米国の形成過程を再検討する予定である。
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