本年度はレオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-1472年)の恋愛小品群を中心に研究を進めた。『デイーフィラ』においては、失恋した若い男性がかつての恋人に病的なまでの執着を見せる。このような精神状態は西洋中世の医学では正真正銘の精神病と看做されていたことが、本年度の研究で明らかになった。当時の権威ある医学書のかずかずにおいて、仕事の精励や旅行などが恋の病の正式な療法として推奨されていた。この病気については、文学的トポスと医学的処方が交錯していたのである。『エカトンフィレ』では、女性の愚かさが再三話題にのぼる。『デイーフィラ』では女性の性悪さが、『エカトンフィレ』では女性の愚昧さが強調されており、両作品には強いミソジニー(女性に対する反感・蔑視)の傾向が認められる。ただし、アルベルティの作品におけるミソジニーは、一般的な男尊女卑とは異なっているように見受けられる。両作品を鑑みるに、作者自身の強い自意識、誰よりも優れているのを認めてほしい自尊心、自分の優秀さは女性(たち)からも称賛されるのが当然とする自負心、にもかかわらず認めてくれない女性(たち)にたいする不満、それでもなお女性(たち)から認めてもらえなければぐらついてしまう自信、といったものが言外に表明されている。『レオノーラとイッポーリトの愛の物語』は、ロミオとジュリエットの物語の原型の一つであるとされるが、この物語には、恋人を危機から救うために居並ぶ政府要人の前で滔々と演説する若い女性が登場する。この小品がアルベルティの真作かどうかは不明であるが、アルベルティと同時代に、このように主体的に行動する女性の物語が流行していたことは注目に値するだろう。建築家・思想家として有名なアルベルティが、表向きのミソジニーの下に複雑な人間心理を巧みに表現するこれらの文学作品を書いていたという事実は、きわめて興味深い。
|