研究課題/領域番号 |
07041009
|
研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
加藤 久美子 名古屋大学, 文学部, 助教授 (80252203)
|
研究分担者 |
SONGKOON Cha マハーサーラカム大学, 東北タイ芸術・文化研究所, 研究員
鈴木 玲子 東京外国語大学, 外国語学部, 講師 (40282777)
黒田 景子 鹿児島大学, 法文学部, 助教授 (20253916)
桜井 由躬雄 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (80115849)
|
キーワード | 東南アジア / 村落 / 移住 / 北タイ / ランプーン / パーサーン / 東北タイ / マハ-チャナチャイ |
研究概要 |
東北タイ調査においては、現在のヤソ-トン県マハ-チャナチャイ郡内村落の多くが18世紀終わりから19世紀にかけての時期に建てられたこと(平成7年度調査による)を踏まえ、シ-サケ-ト県およびウボン県にあるマハ-チャナチャイ郡村落創始者の母村を訪ねて調査を行った。それにより、その地における移住・新村落形成は、干ばつ、洪水、そしてそれに伴う土地の不足、疫病などから逃れるために、村人自身の判断によって行われていたことがわかった。平成10年3月の調査では、ノーンブアランプー県における、ヤソ-トン県マハ-チャナチャイ郡からの移住者の住む村落で聞き取りを行う予定だが、本実績報告書執筆段階で調査はまだ行われていない。 北タイ調査において、当初予定した聞き取りを終了した。だが、各村において村長、副村長に対し質問するという方法によっては、東北タイのものほど明確な結果が出てこなかった。その原因は、19世紀以前において、北タイにおける移住・村落形成の原因、移動のしかたが、束北タイにおけるものと異なっていたというところに求められる。北タイにおける移住は、18世紀末から19世紀初頭において、戦乱の時期を経て人がいなくなってしまった土地に再び人を住ませることを意図した政治権力によって、より北方の地(現在のタイ国の国境より北、中国雲南省最南部にかけて)からの強制移住という形で行われたものであった。本研究では、その移民析出地域の一部として、ラオス北部においても、19世紀初頭の北タイヘの移民との関連で調査を行った。
|