研究課題
1995年8月〜9月、本補助金により、中国寧夏回族自治区固原県・南郊郷・小馬庄村において「中日連合原州考古隊」を組織し、唐墓を発掘した。中国・国務院・国家文物局の正式許可を得た、合同発掘の戦後第一号となった。墓葬の構造は、地下式土室墓で、過道・墓道・墓室には壁画があったが、剥落してごく一部のみ残存。色としては金・銀・紅・緑・黄・白・墨が残る。墓門の木製扉も紅・緑・黄・白で彩色されていた。出土した墓誌から、史道洛(65歳、655年歿)とその妻康氏(55歳、645年歿)の合葬墓で658年葬と判明。史も康もいわゆる昭武九姓の一で、どちらも中央アジア出身のソグド人。史はキシュ(現シャフリシャブス)、康はサマルカンド出身者とされる。墓誌蓋周縁には四神図が刻されており、特に玄武の尾が後脚をくぐっているのは、高松塚古墳壁画と同様でその影響関係が注目される。遺物は正倉院御物と同形態の漆塗木櫃や、法隆寺献納宝物に類品のある漆塗竹厨子に入れて副葬されていた。東ローマのユスティヌスII世(565〜578年)金貨も出土したが、これは三途の川の渡し守に渡す古銭を死者の口に含ませる西方の習慣に基づくものと考えられる。他に極彩色の人面獣身・獣面獣身の鎮墓獣、武人俑各一対、木製馬俑、完器の白磁盤口壼など。ガラスも貴重な資料が出土した。外面各稜底に金属細板を貼付装飾したガラス製六曲小円杯は、器形的には、正倉院に八曲(金銅製)・十二曲(ガラス製)の長杯は存在するものの、六曲の円杯は珍しい。また、緑色透明薄手ガラスでラッパの開口部のようなものをつくり、中央の孔から金属線を通してその先端に水滴状のガラス珠などをはめ込んだ「ガラス花卉(かき)」も出土し、おおきな成果をあげることができた。来年度はさらに規模の大きい北朝期墓群中の一基を発掘する。(780字)
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