研究課題/領域番号 |
07301021
|
研究種目 |
総合研究(A)
|
研究機関 | 東京女子大学 |
研究代表者 |
河村 望 東京女子大学, 文理学部, 教授 (60086923)
|
研究分担者 |
近藤 敏夫 仏教大学, 社会学部, 専任講師 (70225621)
小川 英司 鹿児島経済大学, 社会学部, 助教授 (90233410)
迫田 耕作 愛知大学, 短期大学部, 助教授 (30211270)
寺田 良一 都留文科大学, 文学部, 教授 (00163923)
渡辺 欣雄 東京都立大学, 人文学部, 教授 (90103209)
|
キーワード | 近代化 / 現代化 / 資本主義 / 宗教倫理 / 日本人 / 日本文化 / 日本社会 |
研究概要 |
西欧社会の近代化と宗教倫理の関係を扱った古典的名著に、M,ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がある。この本のなかで、ウェーバーは、キリスト教、とくにプロテスタント、ピューリタンの生活倫理が、近代の合理的、組織的資本主義を生みだしたとし、近代資本主義を西欧の宗教倫理の産物とみなした。近代化についての同じような考えは、ル-ス、ベネディリトの『菊と刀』のなかでの、西欧の「罪の文化」にたいする日本の「恥の文化」という対比の仕方のなかにも示されている。 しかし、近代化というのは、特定の価値が支配的になる過程ではなく、現在にいたるまで存統してきたあらゆる価値が共存するという、いわば現代化の過程であり、その意味で、それは伝統に対立するものではない。現代化としての近代化は、現在の時点における、それぞれの伝統の再構成なのである。 とすれば、日本人及び日本社会を近代化の過程においてとらえるとき、西欧の近代人及び近代社会を可能ならしめている理性的主体を、同じく日本において想定し、かかる抽象的普遍性の次元においてのみ問題をとらえる方法には、自ずから限界があるといえよう。また、抽象的認識主体としての日本人がまず抽象的時空間において存在し、その日本人の認知対象として日本社会が客観的に存在するという図式が成り立たないことも明らかといえよう。 とすると飛鳥、藤原京、平城京、平安京といた地域に、日本語、日本人、日本文化の原型が太古より形成され、それが周辺に拡大していったという通説は、実際の日本人の歴史的経験に基づくものではないといえよう。同じく、日本人は文字を知らなかったから、七世紀になって、漢字を使用し、漢文を書いたというのも、通説とはいえ、およそ言語文化の形成過程、したがって社会の形成過程を理解しない暴論といえよう。
|