研究課題/領域番号 |
07303009
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研究種目 |
総合研究(A)
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
石井 寛治 東京大学, 経済学部, 教授 (20012122)
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研究分担者 |
中村 尚史 東京大学, 社会科学研究所, 助手 (60262086)
山田 雄久 奈良産業大学, 経営学部, 講師 (10243148)
田島 佳也 神奈川大学, 短期大学部, 教授 (40201610)
岡田 光代 大阪府立大学, 経済学部, 助教授 (70213949)
中西 聡 北海道大学, 経済学部, 助教授 (20251457)
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キーワード | 商人 / 全国市場 / 地域市場 / 廻船問屋 / 北前船 / 鰊肥料 / 化学肥料 / 米穀 |
研究概要 |
1.7月、10月、2月の3回にわたり、貝塚市の旧廻船問屋廣海家の文書調査を実施し、基本帳簿類のマイクロカメラ撮影と一枚物の目録カードの作成を行った。また、8月には北陸の取引先の調査も実施した。さらに、10月末から11月初めにかけて、東京大学に借り出した一枚物の目録カードの作成を行った。 2.これらの調査に平行して役割分担に従って文書の分析を行い、貝塚市での調査に際して順次発表し、討論を行った。その結果、(1)廻船問屋としての廣海家は、幕末までは鰊魚肥よりも陸奥・出羽・越後からの米穀の取り扱いが多く、ほぼ毎年利益を上げているのに対して、明治に入ってからは米穀の取り扱いよりも鰊魚肥を手船によって北海道から直接購入するか南部野辺地や北陸各地の北前船商人から購入する方が多くなり、損失を生む年の方がむしろ多くなること、(2)取引形態は、仕入れに際しては問屋として「口銭」=手数料を得つつ、販売に際しては必ずしも問屋として売買を仲介するだけでなく、仲買と同様に自己勘定による譲渡利潤を獲得している場合もあり、問屋業務と仲買業務の双方に跨がる複雑な取引形態であること、(3)明治中期には17町歩台の小作地から200石台の小作米を得ており、その売却代金が問屋経営の損失をカバーしていること、(4)明治10年代から有価証券投資を開始し、そこから上がる株式配当収入は昭和2年度には6万円弱に達し、同年度の問屋経営の4万円余の損失を補って余りあること、(5)廣海家は日清戦争直後に貝塚銀行を設立して頭取を永く努めるが、同家は五十一銀行や住友銀行とも早くから取引しており、大正初年のこれらの三行との当座取引状況からみても貝塚銀行を資金調達のための機関銀行として利用していたとは言えないこと、などが明らかにされた。
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