「引き込み」とは単に二つの身体の動作が同調することではない。たとえば「一、二、三」とかけ声をかけて動作を同期させるのは「引き込み」ではない。異なる固有周期をもって運動している二つの個体が接近すると、意図せずして(外部リズムの認知とその意識的反復ではなく)一方が他方の周期に同調してしまうことである。被験者に固有リズムを作らせ(指によるタッピングをさせる)そこに外部から別のリズムを与えると同調が起きることは容易に確認できるが、それが認知と反復ではないことを証明するためには実験に工夫が要る。われわれは(1)他のリズムが接近すると不本意にも(努力に反して)固有リズムを維持できなくなるケース、(2)音楽的訓練がないため課題のリズムを自力では維持できない者が専門家により外部からリズムを与えられるとこれに同調することはできるケースなどの実験を行い、いくつかの知見を得た。たとえば(1)に関して、はじめから違うリズムが外部にある場合は意識的努力によって無視できる者も、はじめ同調していた外部リズムが突然変化するときは影響を受けやすい(フェイント効果)とか、(2)に関しては、課題リズムが機械的な時間分節として認識される場合よりも強弱遅速のゲシュタルト(フレーズ)として直観されるほうが同調しやすいといったことである。これに基づき尼ヶ崎は、人間にとっての時間を認識される時間と生きられる時間に分け、後者の時間がフレーズを単位として量子化されていること、そのフレーズの構造が芸術において経験される時間の質を決定していることなどを論じた。また譲原は「リズム・コミュニケーション」を主題に従来の「リズム共調」論を批判的に検討し、さらにリズムの伝達においてリズムが意味を媒介するのではなくリズム構造こそが意味そのものであることを論じた。
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