本年度は「銘書帳」と呼ばれるカタカナ書の蘭書目録を、オランダの出版目録により元の表題と著者を確定する作業に大部分の時間を費やした。銘書帳は元の検閲用に作られたものであるが、後には蘭書の売立目録となり、雄藩の大名、蘭学者などにも転写して回覧されていた。幕末に蕃書調所、長崎海軍伝習所が開設されると、オランダの総領事がバタヴィアに蘭書の注文を出すことになり、輸入される蘭書に大きな変化が見られる。オランダ語を基礎から学ばなければ、促成で海軍をつくることは出来ないというオランダ側の考えから、バタヴィアに出された注文は、小学校の読本、初級オランダ語文法、軍学校で使用される、初級代数門、幾何入門など、これまでほとんど輸入されなかった本となる。これらは単価が安いため、1点が300冊も輸入されたものがあり、1858年には総計12000冊にものぼった。一方、沿岸防衛のための軍事書も多くの種類が輸入されたが、これらは高価だったため、多くても1点が5冊ほどに限られ、主に幕府と西南雄藩に買われたようである。この時期には、書籍は長崎奉行をはじめ地役人、通詞にとって大いに利益のある商品となった。またオランダ人にとっても、事前に日本の市場の調査をし、日本で売れる本をえらんで個人のリスクで持ち込めば、書物はもっとも利益のある商品となった。輸入される蘭書の変化は、幕末の蘭学、洋楽の興隆をそのまま反映している。
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