1.旧法期における福岡県の土地区画整理事業のうち、組合設立時の計画図が得られた16組合を対象として画地と街区の形状及び配列方法を分析し、全国的な計画基準である土地区画整理設計標準との比較を行った。この結果、街区形状は長辺90〜120m、短辺40〜50mに統一されており、特に画地の奥行が決定される街区短辺において強い統一性がみられた。このような街区は土地区画整理設計標準に比べて、短辺長の深い街区となっており、福岡県独自の標準の存在が考えられる。一方、画地形状をみると二列背割型を基本とする整然とした計画となっているが、間口長は各組合によって異なった値となっており、福岡県で統一された標準はなかったと考えられる。 2.旧八幡市に位置する互いに隣接した8つの組合を対象として、1で分析した組合設立時の計画図と換地処分時の計画図を比較するため、土地所有との関連に注目し街区と画地の形態的変化を分析した。この結果、戦前に事業が完了した組合では街区の変化はみられないが、戦後まで事業が引き続いた組合では大規模な企業所有地が確保されており、大きな計画変更が行われている。このため、組合設立時において統一されていた街区形状が戦後では異形状の街区が塊状に配置されており、その後の健全な市街化という点で疑問を残す結果となっている。また、換地処分時の画地形状は8つ組合ともに大小の規模の画地が混在した不規則な画地割となっており、事業の遂行にともなって、規格の統一化よりも換地設計が優先されたと考えられる。 3.戦前の街区、画地の計画案について分析した結果、これらに関する計画論は相対的に遅れていた。従って、街区及び画地の計画に関しては街区や画地の辺長や規模の標準を設定する点に止まっており、こうした計画理論水準で我が国の土地区画整理の計画理論である標準設定型計画理論が確立したと考えられる。
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