研究課題/領域番号 |
07458020
|
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
足利 健亮 京都大学, 大学院・人間・環境学研究科, 教授 (90026823)
|
研究分担者 |
南出 真助 京都大学, 追手門学院大学・文学部, 教授 (80111904)
石川 義孝 京都大学, 文学部, 助教授 (30115787)
金田 章裕 京都大学, 文学部, 教授 (60093233)
成田 孝三 京都大学, 文学部, 教授 (10047037)
山田 誠 京都大学, 総合人間学部, 教授 (70086172)
|
キーワード | 要路体系 / 古代交通路 / 歴史地理学 / 古山陽道 / 北陸道 / 国土構造 / 高速自動車道路 / 時空間収束 |
研究概要 |
平成7、8両年度に亘る調査研究の結果は、以下のように要約できる。 (1)国土の動脈と云うべき要路の体系は、まず古代国家の手で、7世紀中葉から8世紀前半にかけて作り上げられた。その体系が大きく変化するのは、8世紀末から9世紀初等の時期、すなわち平安京の成立前後であった。変化要因の1つは、首都が奈良盆地から京都盆地北部へ移動したことであるが、もう1つの要因は平安京政府の駅路行政改革というべき、駅家と官道の整理縮小政策であった。南海道、関東平野、北陸道を対象としたこの問題についての成果が、足利「古代交通路と駅家」(桑原公徳編『歴史地理学』、平成9年2月)、及び金坂清則「北陸道」(木下良編『古代道路』、平成8年4月)である。 (2)古代直線計画道路は、中世・近世の間に、1つは整備の力が持続性を失うという変化要因により、もう1つは、武士政権からみた必要度とそれを実現する力という変化要因によって、大きな体系変化を経験する。足利は「法性寺大路」の消滅の例(『京都府埋蔵文化財論集』3、平成8年3月)と、「湖東平野山道の遷移」(平成9年3月)の例について契機と時期を実証する試みを行い、体系変化の実相を明らかにした。 (3)現代の要路体系に関わる問題点については、成田が、中国地方の高速道路を事例として、その開通が沿線都市間の分業と協業という望ましい関係を必ずしも成立させないことを明示し(「現代要路体系の地域的意味」平成9年3月)、豊田は、四国地域に瀬戸大橋が齎した経済的影響について整理し、要路体系の変化と地域変化の関連を示した(「瀬戸大橋の地域経済に及ぼす影響と地価変動」平成9年3月)。さらに石川は、航空サービスという高速交通網と情報ネットワークの急激な発達という側面から、「時空間収束」による国土の縮小を例示しつつ、要路体系変化の未来を予見した(平成9年3月)。
|