平成七年度は、当初の研究計画に従って、ホロコーストの一次資料の分析、とくにクロード・ランズマンのインタビュー映画『ショアー』や、新たにドイツで刊行されたギデオン・グライフのインタビュー集等により、絶滅収容所の元ユダヤ人特務班の生き残りの人々の証言を分析することに意を注いだ。その結果として、まず明らかになったのは、1.これらの証言では一般に「死者のために、死者に代わって弁明する」という構造が重要であること、2.しかしこの「代理」の構造は、証人に付きまとう死者の記憶が、本質的に表象=再現前化不可能(unrepresentable)なものであるかぎり、決して同一性にはなりえない差異の構造であること、3.したがって、これらの記憶と証言では、古典的物語論や歴史哲学が特権化していた"終末論的"構図、すなわち、アリストテレス以来の「カタルシス」による浄化や、ヘーゲルに代表される政治的・宗教的「赦し」による贖いといった形での「現実との和解」が不可能になっていること、等である(論文「精神の傷は癒えない-死(者)の記憶と《赦し》の論理」参照)。さらに、代表的なポスト・ホロコースト論者であるハンナ・アーレントの思想の分析を進め、彼女の「記憶」と「物語」の概念が依然としてヨーロッパ中心主義的で、古典ギリシャ・ローマをモデルにしているため、アフリカの諸民族を「記憶なき民」=「歴史の外の民」と見なす一方、歴史的暴力の記憶を「記憶」の空間から排除するというパラドックスに陥っていることを明らかにした(論文「《闇の奥》の記憶-アーレントと〈人種〉の幻影」参照)。
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