本研究によって得られた具体的成果として、次の四点があげられる。 1.映画『ショアー』の証言を分析することによって、生存者たちがホロコーストを目撃したことで被った精神的トラウマが、物語行為によるカタルシス(浄化、癒し)といった従来の図式を無効にすること、したがってもはや、ヘーゲルの歴史哲学に見られるような「和解」「宥和」「贖い」「赦し」といった事態を想定することはできないこと、を明らかにした。 2.ホロコーストの出現による古典的な歴史哲学の崩壊を強調し、新たな「記憶の政治哲学」を構想したハンナ・アーレントの思想は、現在強い影響力をもつにもかかわらず、実はその中心に、ヘーゲルに似たヨーロッパ中心主義的な発想を残し、ホロコーストのような「絶減」の暴力を「政治的記憶」の外部に放逐する限界をもっていることを明らかにした。 3.映画『ショアー』をジェンダーの見地から分析し、そこに、死せる女性の犠牲のもとに弾性カップルが証言行為を行なうという「オルフェウス・モデル」(K・テヴェライト)を読み取った米国のM・ハ-シュ、L・スピッツァーの独創的解釈の妥当性を検討し、大筋で評価しつつ、いくつかの問題点を明らかにした。 4.S・フェルマンの『ショアー』論、J・デリダの最近の議論などに示唆を受け、また戦後のドイツ、フランス、イスラエルなどでのホロコーストの記憶の変遷を実証的に考察しつつ、歴史的記憶の「亡霊」的性格を定式化した。その際、フロイト、ベンヤミン、ミッチャーリヒ夫妻らの「悲哀=喪の作業」の分析を活用し、シェイクスピアの『ハムレット』を「亡霊」的記憶とその物語のモデルとして分析した。
|