平成八年度は七年度のテーマを発展させつつ考察してゆくなかで、(1)墨家の聖王思想の形成と展開.(2)墨家の仁義説の形成と展開、という二つのテーマを中心に研究を行なった. (1)については、墨家の聖王思想が起こるのは兼愛中篇を残した墨家集団によるもので、彼らは当時(BC4世紀前半)最強の魏の国にその思想を勢力を扶植せんとした。当時の魏は大梁に遷都して左伝の編纂に着手し、理念的な周正や夏正の形成、又魏と夏との関係の弁証などが、その作業を通してもたらされた。このような検討をふまえて、左伝の編纂による知見と墨家の聖王思想の影響とが、魏の恵成王にBC351年の夏王を称すという〈革命〉の立場を取らせたのではないか、という仮説を提起した。これについては論文「魏の称夏王をめぐる左伝と墨家」としてまとめた。 (2)については、孔子、墨家、孟子における仁・義の概念の検討を通して、孔子の仁・義の概念を積極的に、即ち血縁共同体(宗族)を越えた人と人との倫理として展開したのが墨家であり、墨家の仁は孔子の仁の「愛」の側面を広汎に展開せんとしたものであり、又義は国家の統治(政教)の規範という相対的な次元を越えて、天下的な次元における義の統一による天下の平和の招致を志向し、そのために天の観念の独自の展開がなされた。墨家のこのような仁義の展開に対して、仁を「親親」義を「従兄」として血縁共同体の倫理として再定義し、同時にこれを先天的な道徳性(性)として内在化させることによって儒家の立場を回復せんとしたのが孟子の仁義説の歴史的性格であることを明らかにした。これについては、論文「儒墨の交渉から見た春秋戦国思想史」にまとめた。
|