本年度は、漢代を中心として、遡っては戦国時期、下っては三国両晋時期の出土遺物に見える神仙図像の収集につとめた。集められた資料の内でも中心となるのは、中国の考古学関係の雑誌に載せられた発掘報告に見られる図像類で、神仙図像の時代性および地域性が明確になるという点で、特に価値が大きい。それに加えて、日本の博物館や美術館に所蔵されている遺物に見える神仙図像の探索も行なった。後者の資料は、出土地などが不明なものが大多数で、資料としての価値は前者に劣るが、実物を詳しく観察できるという点で貴重である。こうした資料収集を通じて得られた所見を、以下に記す。 戦国時代の初年、それまで青銅器の表面を飾ってきた饕餮紋様を中心とした図像が大きく変化する。人間的な図像がそこに混ざるようになるのである。しかし、そこに画かれているのは、まったくの日常生活なのではなく、なんらかの形で宗教性を帯びた図像なのであった。神と人間との間に神仙という存在を置く観念は、この時間の図像の変化と共通した基盤の上に成長したのである。逆に、下って、三国・両晋時期になると、おそらく仏教受容との関係が大きいのであろうが、遺物の中で、神仙図像が占める位置は、以前ほどは重要ではなくなる。すなわち、漢代を中心に、戦国時期から三国時代までの時期を、神仙図像が顕著であった時代として特徴づけることができるのである。 図像に見える神仙のありかたと、文献に見える神仙思想とは、重なる面がありつつも、相当に異なっている。特に墓の壁面を飾っている神仙図像については、宇宙論的か性格が強く、当時の葬送儀礼と密接に関連し、祖霊信仰と不可分のものであったことが確かめられる。こうした儀礼に結びついた神仙観念が、神仙思想の基盤にあったものを、よく表明する。このように神仙観念は、単に仙人たちの伝記や方術としたそれが表現されたに止まらず、中国の宗教史・思想史の中で、特定の時期の人々の精神のありかたを特徴づける、顕著な要素の一つであったことが知られるのである。
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