研究概要 |
印度後期大乗仏教思想の研究は現在初期の段階にあり、その研究を進めるに際しては、思想的基盤となっている七世紀から九世紀の仏教論理学・認識論・宗教論の解明が、基礎研究として不可欠である。法称(Dharmakirti ca. 600-660 A. D.)は、これら論理学などの諸問題に正面から取り組んだ学匠であり、その著作の解読研究は、日本及び西欧の諸学者によって進められている。就中、オーストリアでは、1960年代から法称の著作の独語訳注を作成する計画を立て、既に、法称の主著である『知識論決択』の直接知覚章(第一章)と自己の為の推論章(第二章)との独語訳注を出版している。今回の研究は、この計画の一環として、第三章「他者の為の推論章」の独語訳注を目的としている。昨年、その訳注の最初の部分をウィーン大学の研究誌、Wiener Zeitschrift fur die Kunde Sudasiens(vol. 39, 1995)に発表し、そこでは、妥当な推論を成立させる為の条件は何か、という問題意識のもとに、他者の為に構成する推論の定義を考察した。推論が当時の印度哲学の世界で重視されたのは、それが他者との対論の為の共通な手段になるという点からであった。この対論の手段という意味では、帰謬法も頻繁に用いられていた。しかし、帰謬法が妥当な論法であることは、暗黙のうちに認められていただけで、その証明は十分になされていなかった。その点を明確に証明したのが法称であり、その照明が上述の著作の第三章に記述されている。この帰謬法の妥当性を積極的に指示する法称の言説は、極めて難解である。そこで、原典の翻訳の直後に、コンテクストに意趣された内容に対して、可能な限り説明を加え、論旨を読み取り易くした。今年度は、これを、日本語訳注の形で発表し、平成八年度に、その独語訳注を上述のウィーン大学の研究誌に掲載する。帰謬法を巡る諸解釈は、印度のみならず、チベット仏教にも影響を与えており、その一例として、Buston(1290-1364)の帰謬法論を分析し、印度仏教での帰謬法の解釈が、チベットにおいてどのように捉えられていたのか、という点を明らかにした(今西順吉博士還暦記念論集に掲載予定)。
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