本研究は、曇無讖という一人の翻訳三蔵の思想的背景を究明することによって、翻訳三蔵の思想的背景と経典そのものの思想的背景の重層性を明らかにしようとするものである。曇無讖は『涅槃経』や『大集経』を中国に紹介した人であり、中国仏教における影響力は計り知れないものがある。その思想がどこでどのように形成されたかという点が明らかになれば、『涅槃経』や『大集経』などの主要な大乗経典がどのような背景によって形成されたものであるのかという事の手がかりを得ることができ、東アジアにおける大乗仏教の成立の事情の一端が明らかになるのである。このような意図のもとに今年度は、『高層伝』などの歴史資料と中国史関係の資料を中心に、曇無讖が20才を迎えるまでの思想形成の経歴と412年に姑蔵に迎えられるまでの活動と経緯を広く検討した。この中で中国史関係の資料の中には、当初予想したような記事はほとんど見つけることができず、あまり顕著な成果は上がらなかった。しかしながらこの作業は、仏教を受け入れていった当時の社会状況を確認しなおす機会となり、本研究の目的を達成するについての新たな視点を得ることができた。そのひとつは中国北朝における仏教の受容が政治勢力と密接な関係にあることである。中国側が仏教にどのようなことを期待したのか、また、西域との交流はどのような必然性によるものなのか。このような点が仏教の受容と密接に関わっているという事である。一方、『高層伝』などの仏教史関係典籍の研究は当初予想したように進めていくことができた。特に曇無讖に限ったことではないが、経典の思想的背景といったことは一人の翻訳三蔵を見ているのみでは明確になってこない点が多い。そこで、今年度データベース化した鍵語を本にして、広く他の多くの三蔵と重なる点を洗い出し、共通性と差異性と言った点から曇無讖の思想を洗い出していけば彼の思想形成とその特徴を立体的に明らかにできるるのではないかと考えている。
|