今年度は、次ぎの二つの点を中心に研究を続行した。第一は、南北朝期の北朝の西域政策と仏教の輸入とはどのような関係にあったのかという点であり、第二は、曇無讖の経歴の中で明らかになったいくつかの特異な点が他の翻訳三蔵と重層性を持たないかという点である。 第一の点に関していえば、北朝はもともと周辺民族の建設した国家であり、独自の文化を持っていた。それ故仏教の輸入は漢人に対する治国政策の一環としての側面を明らかに持っていた。つまり外来の三蔵に期待されたことは、仏教という精神文化的な面でなく、神変や寄瑞によって人々を収攬していくためにそれを利用したのである。曇無讖が結局は暗殺されるように亡くなっていくことは、このような為政者側のもくろみを抜きにしては考えられないのである。 第二の点に関していえば、『涅槃経』の前半部分の中心課題である「如来常住」という思想は、『法華経』などを下敷きにしている。しかし両者は根本において基本的な立場を異にしていることも明らかとなった。つまり『法華経』は、具体的な釈尊の背後に永遠の如来を見出したのに対し、『涅槃経』は永遠の如来によって具体的なものを導き出そうとしているということである。この両者の根本的な相違は一体何に基づくのか、いずれも重要な大乗経典であるだけにその解明が今後の大きな問題であることが明らかになった。また、後半の中心思想である「一切衆生悉有仏性」という思想を、空性・法性といった概念の延長上に位置づけることができたので、この視点によって、中央アジアのカシミールやガンダーラといったスワット地域に展開していた仏教とタクラマカン砂漠周辺に展開していた仏教とがどのように関係していたのかという問題を解明していけるのではないかという手がかりを得ることができた。
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